|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 公 : [こう] 1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
ゴットフリート3世(Gottfried III., 生年未詳 - 1069年12月)は、上ロートリンゲン公(1044年 - 1047年)、トスカーナ辺境伯(1054年 - 1069年)、下ロートリンゲン公(1065年 - 1069年)。髭公(Bearded)といわれる。アルデンヌ家のロートリンゲン公ゴツェロ1世の長男。 == 生涯 == === 皇帝ハインリヒ3世との対立 === 1044年4月に父ゴツェロ1世が死去した時、皇帝ハインリヒ3世は、ゴットフリートのロートリンゲン一括相続を認めず、ゴットフリートに上ロートリンゲンを、弟のゴツェロ2世に下ロートリンゲンを分割授封した〔成瀬、p.160〕。ゴットフリートはこれに対し反論したが、これをハインリヒ3世は反逆とみなし、諸侯会議においてゴットフリートから上ロートリンゲン公領を取り上げた〔。ゴットフリートはハインリヒ3世と戦ったが、1045年7月皇帝に降伏し、翌1046年5月拘禁を解かれた上で上ロートリンゲン公領を再び与えられた〔。一方、弟ゴツェロ2世に与えられていた下ロートリンゲン公位はルクセンブルク家のフリードリヒに与えられた。1047年には、リエージュの併合を目的として、ホラント伯ディルク4世、フランドル伯ボードワン5世、エノー伯エルマンらとともにハインリヒ3世と再び対立し、ゴットフリートは上ロートリンゲン公位を剥奪された。1049年にハインリヒ3世はホラント伯を倒し、また、ハインリヒ3世に擁立された教皇レオ9世がゴットフリートとフランドル伯を破門する中、同年7月アーヘンにおいてゴットフリートはハインリヒ3世に降伏した〔瀬原、p.272〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴットフリート3世 (ロートリンゲン公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|